【 Blog 】: 鶴岡東・野球部と実家の商売との深いご縁について

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※ 写真は「鳥取城北を破り歓喜の鶴岡東ナイン=甲子園」(出典:デイリースポーツ online)

今年の全国高校野球選手権大会(甲子園)に、山形県から4年ぶり4回目の出場を果たした鶴岡東高等学校野球部。

この鶴岡東(旧・鶴商学園)は、私の母校ではありません。
また、家族にOB・OGもおりません。

しかしながら、私の両親は山形県鶴岡市から、弟は愛知県名古屋市から、はるばる甲子園球場まで行き、第1試合を観戦してきました。

なぜならば、実家が経営していた『パンション』という2食付き賃貸住宅(30戸・4階建て)で、野球部の生徒さんたちを預かっていたからです!!!
ピーク時には20人ぐらい預かっており、まるで野球部の寮のようになっていました。

そもそも私の実家は、私が生まれた頃は『レストラン』(40坪×2階建て)を経営していたのですが、30年ぐらい前に『本屋』と『パンション』の経営に大きく方向転換しました。

当初、『パンション』は「単身赴任専門下宿(2食付き)」とうたっており、実際の居住者も単身赴任者(学校の先生、ゼネコン関係者など)か山形大学農学部の学生さん(3,4年次は鶴岡キャンパス)だったと記憶しております。

それが時代の流れによって、いつのまにか鶴岡東高等学校の野球部の生徒さん(主に、大阪からの野球留学生)が30戸中20戸ぐらいを占めるようになっていました。

それから時は流れ、2010年の秋。
父は商売(『本屋』と『パンション』)を辞める決心をし、そのことを鶴岡東の野球部の監督へ伝えます。

「いま預かっている1年生が卒業したら『パンション』を辞めるので、2011年4月以降は、新規での生徒さんを預かることはできない。」と。

すると、野球部の監督から予想もしなかった答えが返ってきました。

「大阪から新しい1年生が10人くらい来ることが決まっているので、もう少し『パンション』を続けてもらえないか。」

このため、『本屋』は予定どおり2011年4月で辞めることができたのですが、『パンション』の方は思いがけず延長することとなり、両親の定年はのびてしまいました。

すると、その数ヶ月後に信じられないような出来事が起こります。

同2011年8月。

鶴岡東が “奇跡的” に甲子園に出場決定!!!
(★ ちなみに、その前に出場したのは30年前です!!!)

両親は地元の県大会も全試合(!!)応援に行っておりましたので、甲子園にももちろん応援に行きました。

同年夏以降、『パンション』の食堂にはおみやげの甲子園グッズ(甲子園の土、ペナント、旗など)が飾られて、にぎやかな雰囲気になりました。

そして、その3年後。

『パンション』は2014年3月で辞め、建物は解体。更地になりました。
両親も完全に商売を引退します。

さらに、その1年半後。
2015年8月現在。

『パンション』を辞めた当時、鶴岡東の1年生だった生徒さんが、3年生になりました。

そのような年に、なんとまた、甲子園に出場することができたのです!!!

このように、この5年間で2回も!!!、両親は予想だにしなかった甲子園に応援に行くことができたのです!!!

★ 鶴岡東の野球部の歴史上、5年間で2回も甲子園に行けたというのは、夢のようなことです!!!

本当に、本当に、信じられない、 “奇跡的” な出来事なのです!!!
(★ 4年ぶり4度目の甲子園出場です!!!)

そのうえ、今年は、鶴岡東が夏の甲子園で初勝利!!!

これもまた、 “奇跡的” !!!

これはきっとお天道さまが見ていてくれて、ご褒美をくださったのだと思いました。

・まじめに働いている姿

・食事のメニューについて、相当の時間をかけて考えている姿

・食事の買い物にも時間をかけている姿

・生徒の全試合を応援しに行っている姿

・食事の時間に、生徒たちに試合の感想やほめ言葉をかけている姿

・生徒さんの親御さんたち(大阪在住)に、お子さんが載った地元の新聞や地元のテレビニュースを編集してお送りしている姿

大事なのは、「見返りを求めず先に与える」という姿勢。

誰も見ていないと思っても、お天道さまは全部見ていてくれるのですね。

在り難い!・・・本当の意味は、It’s a miracle!

***

◾︎ 8月11日

〇鶴岡東(山形)9-6鳥取城北(鳥取)⚫︎

◾︎ 8月15日

〇花咲徳栄(埼玉)1-0 鶴岡東(山形)⚫︎



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